3 Of A Gun

 元々日記や雑文はノートに書いていたのだけれど、最近どうも体調が安定しない日が続き、そうなるとなんとなーく手でものを書くのにも影響が出てくる。

 なので久しぶりにはてブを使おうかなと思った。体調不良はキーボード越しには反映されない。writingtypingってそこら辺別物だよね。

 あと最近知り合いではてブを始動、再始動している人も多いので、それに乗じてという形。これまではレビューや創作といったある程度固まったものを載せていたけれど(といっても2本しかない)、これからは創作やレビュー、日記雑文問わずとりあえず形を与えておきたい考えやアイデアなどを載せる場所とする。それに合わせてブログ名も変えてみた。ペンネームとブログ名が重なっているタイプのものに前から憧れがあったのでちょうど良かった。

 ではではよしなに。


 

 

 よく部屋の中を徘徊する。基本的には自宅のリビングだが、たまに自室や風呂場もぐるぐる歩き回る。適当な半径で円を描いたり、自分でコーナーを決めて軌跡が四角形になるように歩いたりもする。

 ただひたすらに同じところを歩いて同じものを見、急にふいと徘徊を止める。別に何か明確な止めるきっかけがあるわけではない。さらに言えば、別にこの限定的な空間の徘徊をしていると何か良いアイデアが思いついたり落ち着いたりするわけではなく、本当になんとなく癖になっているだけなのだ。親には蜂の踊りと評されたこともある。

 ただ流石にほかに何もせずに部屋の中をぐるぐる歩くわけでもなく、その時自分の頭の中で勝手にヘビロテされている曲を雑に口ずさんだりする。

 そして今だとそれが、The Vaselinesの「Son Of A Gun」。シンプルな歌詞とリズムなので音痴な自分でもなんとかそれっぽく歌える。

 バイト先の先輩からグラスゴーのバンドの曲をまとめた自作のプレイリストを貰ったのだが、その中でも特に良いなと思ったのがこの曲だった。

 音楽に関しては何の蘊蓄もないけれど、アニメや映画とのタイアップ曲以外でこんなに一曲の洋楽を繰り返し聴くこともないので、試しに紹介してみる(ちなみにアニメに使われた曲アリだと、去年Netflixで配信された『サイバーパンク エッジランナーズ』のED曲「I Really Want to Stay At Your House」を一時期死ぬほど聴いていた。というか同アニメのOP曲を歌うFranz Ferdinandグラスゴーのバンドという繋がりで、エッジランナーズを観ていたバイト先の先輩からプレイリストが送られてきたのがそもそものきっかけ)

 

youtu.be

 

 マジでちょっと思いついたから歌ってみましたって感じのやる気のなさそうな歌声が凄く良い。歌詞はこんな感じ。

 

Swing swing up and down

Turn turn turn around

Round round around and about and

Over again

Gun gun son of a gun

You are the only one

And no one else will

Take my place

 

The sun shines in the bedroom

When you play

And the raining always starts

When you go away

The sun shines in the bedroom

When you play

And the raining always starts

When you go away

 

 これを男性ボーカルがカラカラと球が転がるように歌うと、そこから女性のボーカルがもう少し鮮明な情景や行動を描いていく。この女性の声がとても澄んでいて、男性の方の日常の中で揉まれたような少し哀愁と疲れの漂う声との位相差が物語を感じさせる。

 そしてこのThe VaselinesNIRVANAカート・コバーンに高く評価されていたらしく、一番好きな曲としてこの「Son Of A Gun」をあげるだけでなく実際にカバーもしている(YouTubeには公式が載せているものがなかったのでSpotifyから)。

 

open.spotify.com

 

 これは普通に格好良い。ピーという音から一気にバンドの演奏が始まり、そのまま走り切っていく。NIRVANA版は冒頭を

 

Swing swing up and down

 

ではなく、

 

up up up and down

 

と歌う。そんなswing(ゆらゆら)してる暇なんてないんだぜ、と言うように。

 ただ個人的にはゆっくり歩くことも遠回りも大好きなので、原曲の方がやはり好みだったりする。何度も同じところを回るにしても、NIRVANAはサーキットを爆走しているようなイメージだ。The Vaselinesの不器用な感じの方が親しみが持てて何度も聞いていられる。あと微妙に自分の部屋内徘徊スピードとあっていない。

 

 と思っていたら、某先輩にもう一つカバーがあると教えてもらった。しかも今度は日本人がカバーしている。それがカヒミ・カリィフリッパーズギター小山田圭吾のバージョン。

 

youtu.be

 

 カヒミ・カリィのウィスパーボイスが癖になる。原曲でも女性ボーカルが澄んでいると書いたが、それとは少し違う一歩離れているような純粋性があってこれもまた良い。

 

 同じ歌詞を何度も繰り返し、離れられない二人を歌う。描かれるのは常にベッドという惑星を中心に衛星のように回る男女だが、その回転速度や半径がそれぞれのバージョンによって違う。皆も聴き比べながら自室の中をぐるぐる歩き回ろう。

 

 というわけで3つの「Son Of A Gun」、「3 Of A Gun」でした。これが言いたかっただけ。

神話へと飛び立つ:『ガルシア=マルケス中短編傑作選』

 

 

『ガルシア=マルケス中短編傑作選』ガブリエル・ガルシア=マルケス

 

 一応最初に書いておくと、自分は『百年の孤独』を読んだことが無い。というかガルシア=マルケス自体これが初めてだし、読んだ経緯そのものが『百年の孤独』から逃げつつガルシア=マルケス接触できないだろうか、という不純な動機だった。ラテンアメリカ文学にも詳しくなく、マジックリアリズムの何たるかも知らない浅学な人間が書いたにしては妙に不遜な文章だと読み返して感じたが、大目に見て頂ければ幸いである。

 

 短いもので20ページ、長いのだと80ページの中短編が計10作収録。解題に書かれている通り「やるせなさ」という気配も通底しているが、それ以上に「やってやった」・「やってしまった」の感覚が収録作中の「人」が迎える結末として共通していると思う。ここでわざわざ「人」と書いたのは、人間以外、人の世の理と循環から離れた存在も登場するからだ。老いて見せ者扱いされた天使、流れ着いた先で物語を付与される水死体エステバン……。彼らはその翼をはためかして飛翔した後の事、流れ着いた後の事など考えていない。結果に付随するジレンマに縛られていない。

 そしてその境界に立つ者も存在する。金塊を抱えて見果てぬ荒野へと走り出した少女エレンディラ、朽ちぬ少女の死体の事をバチカンに伝える為に連絡を待ち続けるマルガリート(この連絡を待ち続ける男というキャラ構造は収録作「大佐に手紙は来ない」の大佐とも共通している。大佐の結末が先述したジレンマを抱えるのに対し、マルガリートの描かれ方はあまりにも対照的)。

 解説ではマジックリアリズムに代わり、神話的リアリズムという言葉が紹介される。どちらの表現も正であり、相互に補完しあう言葉だと思う。マジックとリアリズムには連続性があり、神話とリアルが繋がるには媒体を必要とする。ひょっとしたらその媒体こそがマジックなのかもしれない

 

※マジックの定義は自分の中でも曖昧だが、便宜上手順と結果の関係性が存在しているにもかかわらず、それが成立するには物理法則とは異なるルールの仮定を必要とする技術とする。重要なのは、この時点では逸脱しているのは物理法則など人の社会で生きていくのに前提としているルールのみであり、それを扱うもの、宿すものは人の社会そのものは離れていないという事。その乖離を果たした存在こそが神話の域に達するのだろうか。

 

 ならば自分は、天使やエステバンはリアルから外れた神話の存在であり、その合間にいるエレンディラ、マルガリートこそがそのマジックの素養を持つと考える。

 神話的リアリズム、マジックリアリズムの2つの表現はベン図のように重なり合い、本短編集内の作品を通して読む事で、その図の中の一部分ではなく全てを味わう事が出来る。冒頭で書いた通り各方面に明るくない自分がこんな傲岸不遜な事を言って良いのか、胸中は不安でいっぱいだが、本短編集は傑作揃い、それだけは間違いなく言える。