神話へと飛び立つ:『ガルシア=マルケス中短編傑作選』

 

 

『ガルシア=マルケス中短編傑作選』ガブリエル・ガルシア=マルケス

 

 一応最初に書いておくと、自分は『百年の孤独』を読んだことが無い。というかガルシア=マルケス自体これが初めてだし、読んだ経緯そのものが『百年の孤独』から逃げつつガルシア=マルケス接触できないだろうか、という不純な動機だった。ラテンアメリカ文学にも詳しくなく、マジックリアリズムの何たるかも知らない浅学な人間が書いたにしては妙に不遜な文章だと読み返して感じたが、大目に見て頂ければ幸いである。

 

 短いもので20ページ、長いのだと80ページの中短編が計10作収録。解題に書かれている通り「やるせなさ」という気配も通底しているが、それ以上に「やってやった」・「やってしまった」の感覚が収録作中の「人」が迎える結末として共通していると思う。ここでわざわざ「人」と書いたのは、人間以外、人の世の理と循環から離れた存在も登場するからだ。老いて見せ者扱いされた天使、流れ着いた先で物語を付与される水死体エステバン……。彼らはその翼をはためかして飛翔した後の事、流れ着いた後の事など考えていない。結果に付随するジレンマに縛られていない。

 そしてその境界に立つ者も存在する。金塊を抱えて見果てぬ荒野へと走り出した少女エレンディラ、朽ちぬ少女の死体の事をバチカンに伝える為に連絡を待ち続けるマルガリート(この連絡を待ち続ける男というキャラ構造は収録作「大佐に手紙は来ない」の大佐とも共通している。大佐の結末が先述したジレンマを抱えるのに対し、マルガリートの描かれ方はあまりにも対照的)。

 解説ではマジックリアリズムに代わり、神話的リアリズムという言葉が紹介される。どちらの表現も正であり、相互に補完しあう言葉だと思う。マジックとリアリズムには連続性があり、神話とリアルが繋がるには媒体を必要とする。ひょっとしたらその媒体こそがマジックなのかもしれない

 

※マジックの定義は自分の中でも曖昧だが、便宜上手順と結果の関係性が存在しているにもかかわらず、それが成立するには物理法則とは異なるルールの仮定を必要とする技術とする。重要なのは、この時点では逸脱しているのは物理法則など人の社会で生きていくのに前提としているルールのみであり、それを扱うもの、宿すものは人の社会そのものは離れていないという事。その乖離を果たした存在こそが神話の域に達するのだろうか。

 

 ならば自分は、天使やエステバンはリアルから外れた神話の存在であり、その合間にいるエレンディラ、マルガリートこそがそのマジックの素養を持つと考える。

 神話的リアリズム、マジックリアリズムの2つの表現はベン図のように重なり合い、本短編集内の作品を通して読む事で、その図の中の一部分ではなく全てを味わう事が出来る。冒頭で書いた通り各方面に明るくない自分がこんな傲岸不遜な事を言って良いのか、胸中は不安でいっぱいだが、本短編集は傑作揃い、それだけは間違いなく言える。